自己紹介の続き、スポーツ雑誌記者時代に世界フィギュアを取材したときの思い出を書いていきたいと思います。
世界フィギュア1994幕張大会を取材したときのことについて書いたのが、去年の7月でした
(自己紹介part4 〜1994世界フィギュア取材の思い出〜)。
すぐに続きを書く予定でしたが、実は、書いてはいけないこと、書くべきではないことの整理がうまくできずに、書いては翌日読み返してお蔵入り・・・の繰り返しとなってしまっていました。
だいぶ遅くなりましたが、続きを書いていきたいと思います。
前回書いたように、会場そばのホテルに自腹宿泊、早朝から公式練習の取材、その後出社、そして昼過ぎには幕張に再び戻り夜遅くまで取材・・・というようなスケジュールだったかと思います。ですが、世界選手権の取材ができることが嬉しくて嬉しくて、疲れなどはまったく感じませんでした。
フィギュアスケートファンの方から見れば、この幕張大会はいろいろな話題に事欠かない大会だったと思いますが、私の中では、日本選手が地元開催のプレッシャーに負けずに力を出し切った大会という印象です。
特に女子シングル佐藤有香選手の優勝、男子シングルの鍵山正和選手のべストの演技での6位入賞は本当に素晴らしいものでした。
私は当時、編集部唯一の記者兼カメラマンだったので、競技写真撮影以外にもいろいろと仕事があり、撮影やら取材やらで会場内を駆け回っていました。
外国選手取材ではときにはあやしげな英語を駆使し、ときには通訳の方のお世話になって、たくさんの選手からコメントをいただき、オフアイスの写真を撮影しました。
このときに強力なツールとなったのが、競技写真です。事前にその選手の過去の競技写真を2枚プリントしておき、1枚は読者プレゼント用として余白にサインをもらい、もう1枚はその選手へプレゼントしていました。かなりの数の選手にお願いしたのですが、どの選手も快く協力してくださり、特に写真のプレゼントを、とても喜んでくれたものでした。多くの選手の方々のおかげで、その号のプレゼントコーナーはとても充実したものとなりました。
そして、後の女王となるミシェル・クワン選手の世界デビューとなったのが、この幕張大会でした。
運良く直接取材できたのですが、当時13歳のクワン選手は大会出場そのものが嬉しくてたまらない様子で、私のあやしげな英語にもずっと笑顔で受け答えをしてくれました。なんと、取材の終わりにはピンバッジを私にくれました。
その瞬間、私は1か月前のリレハンメルオリンピック取材のときに、世界各国の人々と楽しくピンバッジ交換をしたことを思い出しました。せっかくの国際大会なのに、国内開催ということもあってピンバッジの準備をしていなかったのです。そこまで気が回りませんでした。
「ごめんなさい!交換するピンバッジはないのですが・・・」と謝ったところ、クワン選手は笑顔で「いいのいいの!楽しかったから」というようなことを言ってくれました。
クワン選手の気づかいのおかげで最後まで和やかな取材でしたが、目の前の仕事だけを考えるのではなく、もう少し余裕を持って大会取材に臨めれば良かったと、後悔したものでした。
今は、その反省を生かして、「準備を万端に!余裕を持てるように!」ということを意識して仕事をしています!!
職種は違えど、雑誌編集者時代から得たものは多いので、また自己紹介としていろいろと書いていきたいと思います。
ちなみに・・・
【“自己紹介part6 〜1994世界フィギュア取材の思い出〜”の続きを読む】テーマ:会計・税務 / 税理士 - ジャンル:ビジネス
先の25日(日)、関東大学1部リーグ戦の全日程が終了し、明治大学体育会サッカー部が優勝しました。43年ぶり2度目の優勝だそうです!
この前の天皇杯で、J2京都サンガF.C.を破り、さらにJ1の清水エスパルスをあわやというところまで追い詰めた勢いと実力は本物でした! とても嬉しいです!!
私がなぜ喜んでいるのかというと、私の短大時代は明大サッカー部を抜きにしては語れない!!からです。
私は短大時代、「明大スポーツ」というスポーツ新聞のサッカー部番記者でした。
正確にはサッカーやフィギュアスケート(明治はフィギュアも強いんですよ!)など5つの部を担当していました。
「明大スポーツ」とは、明治大学体育会43部の活躍を伝える明治大学の学生新聞です。レイアウトや紙面構成は本当にプロ顔負け、そして取材対象への想い!は、プロをも上回っているといっても過言ではありません。
なぜかというと、自分の担当している部が大きい大会に出た場合、取材のために自腹で全国を追っかけるかなりの気合いが入った活動をしているからです。
私も神戸で行われたサッカー総理大臣杯や、スケートインカレのために帯広に行くなど、熱く楽しい学生時代でした。
私はこの「明大スポーツ」を年間購読しているのですが、毎号、深く取材されている読み応えのある記事には本当に感心してしまいます。私の学生時代よりもさらにパワーアップされて、今は
サイトでもいろいろな記事を読むことができます。
それで、サッカー部の話に戻ると、サッカー部は私のときは明治はリーグ戦2部にいた時代でした。もちろん全国の強豪高校から有力選手が集まっていたので、選手個人個人のレベルは高く、私が1年の時は総理大臣杯という全国大会で3位となりました!
リーグ戦2部だったのが不思議なくらいでしたが、2部ということでモチベーションがあがらなかったり、とある事情でサッカー部合宿所がなかった時期だったので、いろいろな面で環境が整っていなかったり、たまたま歯車がかみ合わなかったのでしょう。
2004年から、私の学生時代にはコーチだった神川さんが監督となり、いろいろな改革がされたようです。
神川監督や選手のみなさんの素晴らしい頑張りがなんといっても一番大きいと思いますが、それ以前のサッカー部OBのみなさんの頑張りの積み重ねもあって、リーグ戦優勝に結びついたのだろうと思います。
明治大学体育会サッカー部のみなさん、次のインカレも頑張ってくださいね!!!
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早いもので、7月となりましたね!
今回は時期外れですが、前回の
自己紹介part3の続きでの予告通り、1994フィギュアスケート世界選手権取材の思い出を書いていきたいと思います。
さて、幕張でフィギュアスケートの世界選手権が行われたのは今から13年前、1994年のことでした。フィギュアスケートは今でこそメジャーなスポーツですが、当時はまだまだマイナーな部分もありました。ですが、逆にそれだけに熱狂的ファンの方々が「私たちは良い競技、良い選手を知っている」と、のめり込んで応援している様子が、会場にいるととてもよく伝わってきました。
この世界選手権はノルウェーでのリレハンメルオリンピックの約1ヶ月後に行われたので、女子シングルなどのオリンピックチャンピオンは休養のため欠場と、世間一般から見れば、やや残念な顔ぶれとなりました。
とはいうものの、男女ともに表彰台を狙う日本選手がいたこと、欠場選手がいるとはいえ海外の一流選手が集まるということで、フィギュアスケートファンの間では大会前からとても期待が集まっていたものでした。
当然、我がスポーツアイ編集部でも気合の入りようが違いました!
リレハンメルオリンピックは私一人しか現地取材できませんでしたが、今度は近場での世界大会です。編集部としては「できる限りの取材をしよう」と総出で取材する方針となりました。具体的には、編集部5人のうちフィギュアスケート担当を4人、その他の大会担当を1人と分担し、その他の大会担当1人も空いている時間があればフィギュアスケートをフォローするというものでした。
大会グラビアはもちろん、マニアックなファンに満足してもらえるような内容の濃いインタビューを行うチャンスです。いつもは、私一人で写真に取材に慌てるところも、今回4人がそれぞれに役割分担をすればかなりの取材が可能となるので、私も心強く思ったものでした。
しかし、ここで上層部からのストップがかかりました。
「スケートだけでこんなに取材費は使うのはけしからん!」
月刊スポーツアイはフィギュアスケートだけを掲載する雑誌ではなかったので、ページ構成はともかく、取材費や取材人数を極端に注ぎ込むことにストップがかかったのです。
上層部との間で話し合いの結果、「取材に行くことは自由だが、日中は社内で他の仕事をする」「余計な取材費は会社側は負担しない」ということで、話がまとまりました。
この前の東京大会でご存じの方は多いでしょうが、フィギュアスケートの世界選手権は午後から夜にかけて行われます。早朝や午前中は公式練習の時間です。
つまり、大会取材は午後から夜にかけて行い、午前中は必ず出社をしてデスクワークを行う、ということです。
実際には午前7時前後に開始する早朝の公式練習を取材し、午前9時までに出社、午後から深夜にかけて大会取材・・・という、なかなかハードなスケジュールとなりました。
この第一の条件には私も納得していました。やはり雑務はそれなりにありますし、電話の多い午前中はやはり編集部にいなければならないということを認識していたからです。特にバックナンバー注文などの書店からの電話も私たち編集部員が受けて取次用短冊の記入までを行っていたので、誰も編集部にいないことは好ましくない事態でした。
第二の条件についてははなから諦めていました。余計な取材費は負担しない、つまり宿泊費は自己負担ということです。私は自腹宿泊にもいいかげん慣れていたので、すぐに会場に近いホテルを手配しました。
自腹宿泊に慣れていたというのは、私は出張が多く、朝早い飛行機の便では、自宅からは間に合わなかったので、それまでも羽田空港や成田空港そばのホテルに自腹で宿泊していたというわけです。
まあ、おそらく、これはマスコミとしては完全に特殊な例でしょう。ですが、当時の私にとっては宿泊費の負担なんてとてもささいなことでした。大会を取材できる喜びの方が比べようにもならないほど大きかったのです!
だいぶ長くなってしまったので、続きは近いうちにまた書きたいと思います!
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先の世界フィギュア、とても盛り上がりましたね!
選手の方々は地元開催で相当のプレッシャーがあったことと思いますが、本当に素晴らしかったですね。
私も一日だけ会場に行き、男子フリー・高橋大輔選手の銀メダルと伊藤みどりさんのフィギュア殿堂入り表彰に涙してしまいました。
私は西側リンクサイドの席に座っていたので、高橋選手の演技では、最後のストレートラインステップで高橋選手がどんどんこちら側に向かってくるという形となり、本当にしびれました。
フィギュアスケートの世界選手権を生で観戦(というか当時は仕事でしたが…)したのは1995年のイギリスのバーミンガム大会以来、なんと12年ぶりのことです。今回は純粋に観戦オンリーだったので、思いっきり拍手をしたり、声援をおくったりすることができました。
雑誌「月刊スポーツアイ」の記者兼カメラマン時代は、リンクサイドという素晴らしい位置で演技を観ることができたものの、撮影にかかりきりで拍手をしたくてもすることができませんでした。
「素晴らしい演技を観たとしても、その後の選手の表情を逃してはいけない!」と自分の感情を押し殺して、機械のようにシャッターをおしていたものです。
まだまだ余韻が覚めないので、明日以降に1994年フィギュアスケート世界選手権幕張大会を取材した思い出を書いていきたいと思います。
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自己紹介の続きを書いていきたいと思います。
前回はスキャナーが使いこなせずに写真を載せられなかったのですが、今回は載せることができました!
これは私がスポーツ雑誌の編集者だった頃、1994年リレハンメル五輪の取材に行った時の写真です。厳寒のノルウェーに2週間ほど滞在しました。開幕前の週刊誌では「ノルウェーはオリンピックを開けるような環境(気温)じゃない」とまで書かれるほどで、不安いっぱいでノルウェーにとんだものですが、その記事の通り本当に寒かったです。リレハンメルは五輪開催地では最も北に位置している都市とのことでした。でも人間は環境に慣れるものですね。そのうち寒さにも慣れて、「今日は暖かいな〜」などと思っていたら、それでも気温は−2℃だった、という日もありました。
私の右側に転がっているのはカメラバッグです。カメラマンを兼ねていたので望遠レンズやカメラ本体、しめて15キロ近くを背負ってあちこちの会場を移動したものでした(望遠レンズはとても重いのです)。
私はオスロ市内に宿泊していたので、とにかく移動が大変でした。電車やバスの便が悪く、リレハンメルやハーマル(フィギュアスケートの会場となった都市)に行くためには、宿舎を朝5時に出て深夜1時過ぎに宿舎に戻る…というような毎日でした。大げさな話ではなく、文字通り不眠不休で2週間働いていたような気がします。
今回は自己紹介というよりは過酷な思い出話となってしまいましたが、20歳そこそこの時期にこのようなハードな経験をしたことは、職業こそ違いますが仕事をするうえで自分自身にとてもプラスになっています(と、無理矢理まとめてみました)。
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ブログをはじめてから淡々とエントリーを載せてきましたが、私の「人となり」をわかって頂くことも大切だと思ったので、これからは税務・会計情報以外で「税理士としての日常」「税理士として感じたこと」などもこれからは書いていこうと思います。
手始めに、何回かに分けて自己紹介を書いていきます。
私の経歴は、税理士としては異色です。
私は短大(明治大学短期大学)を卒業して、就職をしたのは会計事務所ではなく、出版社でした。私はもともとは編集者だったのです。「月刊スポーツアイ」というスポーツ雑誌の編集の仕事をしていました。
記者として記事を書いたり、各競技のトップレベルのスポーツ選手に単独インタビューをしたり、カメラマンとして試合の写真を撮ったりしていました。「月刊スポーツアイ」はいろいろなジャンルのスポーツを広く扱っていたこともあり、私は多くの選手の方々に直接インタビューをさせて頂き、国内・国外のさまざまな大会に取材をさせて頂きました。
この冬はトリノ五輪で盛り上がったのが記憶に新しいところですが、私はリレハンメル五輪に現地取材にいったものです。1994年、21歳の時でした。ノルディック複合の日本団体の金メダル、スキー団体の原田選手の残念な失速ジャンプ、フィギュアスケート・ハーディング選手(アメリカ)の演技中断などを間近で見て、鮮明に覚えています。
ここで、ノルウェーでの写真を載せたかったのですが、スキャナーを使いこなせていないのでまたの機会にします。
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